真実は・・・・・
上原貞美


a  昭和48年10月初旬。近所の人達と茸狩りに行きました。深夜午前1時頃出発、草津温泉の近くの野反湖周辺で採取する予定でした。婦女子を含めて総勢15名余を乗せたマイクロバスが、吾妻川の支流白砂川添いにさかのぼり朝霧をついて花敷に到着したのは、未だ暁暗の漂う、午前5時半頃です。話はそれますが、長野原から花敷の中間位の所に湯の平温泉が有り、そこの草津側の山の斜面で多量のホウキタケを採った経験がありました。私の故郷ではホウキタケの類を一括ネズミアシと呼び、赤・紫・黄等、全く安全な食茸として採取しており、中毒の話も聞きませんでした。

 湯の平温泉から沢渡温泉に抜ける途中に若山牧水の碑が建っている暮坂峠が有り、この周辺には毎年茸狩りにいっていますが、去年もホテイシメジ・クリタケ・ナラタケその他を同行者全員充分な量を採って来ました。

 さて、そのときの茸狩りですが、偶然、土地の方に案内していただく事になり、急坂の途中清らかな清水が崖の岩肌を伝い落ちている道路わきの広場で、朝食のお握りを頬ばり小休止しました。その間、私は谷側に降りて見ると倒木の上にムキタケが見つかり、7・8個採りました。

 車止めで下車し、落葉松林を通るとアミタケの仲間が散見できましたが、当時は知識不足のせいで、その類の茸は格下に見ていて余程獲物がない限り殆ど採りませんでした。やがて視界が開け、若い雑木がびっしりと生えているニ反程の緩斜面を、案内の方が指差しました。

 全員争って林に跳び込んで1時間半程、持参の入れ物に各自満杯でした。その辺りでは、アカモタシ=クリタケ?と言う茸が殆どでした。

 野反湖の一望できる休憩所の台所を拝借し、持参の茄子・豆腐・葱等を入れて、早速きのこ汁の昼食を賞味しました。2歳の我が家の次男を含め全員おいしく食べましたが、私だけは少し気掛かりな所が有ったのです。

 高校生の頃、故郷の山で採って来た月夜茸に中毒し一家中で夜半過ぎまで苦しんだ経験があり、今回の汁の中にも微妙にその時の味覚がよみがえってくるような気がしたからです。

 一時間程して出発となり揺られること20分、先ず妻がバスを止めて貰って道端で吐いている様子でしたが、その時はバスに酔ったものと皆は考えたようです。

 私の心配は増々つのりました。バスが宿近くまで来ますと、殆どの女性と子供達は窓から顔を出して吐きはじめ、男性も必死で吐くのをこらえている様子で顔色が青醒めていました。

 バスが宿に着くやいなや、運転手以外は全員前方の川原にはしり、一斉に吐き始めました。殆どの人がその後数回繰り返し吐き、寝転がっていましたが、人一倍食べて運転をしてくれた方は平然としていました。頑健な体躯のダンプの運転手さんでした。

 夕食は一名を除き常と変わらずいただきましたが、その一名は小柄な男性工員の方で、とうとうはるか六合村役場近くから医者に往診していただきました。原因はムキタケと思って私が採った月夜茸による中毒と思っていますが、同行の仲間が椎茸のようなものを採り、それも汁に入れたので他の人達はそのせいだと思っていたようで、私も黙っていました。幸いな事に翌日は全員元気を回復し、快晴の中、浅間に向かい出発する事ができ本当に安堵いたしました。




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