キノコの方言と民俗
小林徳男


a  秩父山地では、標高が約1600mで、ブナやイヌブナなどの落葉広葉樹にしめられる山地帯から、コメツガやシラビソなどの針葉樹が多くみられる亜高山帯へと森林帯が移り変わっていきます。また沢ぞいには、シオジやカツラ、サワグルミなどからなる林がみられます。このような林は、傾斜が強く、たえず上の方から礫や土砂が落ちてきているがれ地に発達していきます。そこは、いつも湿った状態に保たれています。

◎大滝村字滝沢は滝沢ダムの出来る所で、集落の中央部には大滝小学校があります。この滝沢に住んでいた山中さん一家は、ダムに沈むので長瀞町に移ってきました。今、自然史博物館で奥さんが働いています。山中さんに聞いた話を紹介しましょう。
 ダム建設の話が持ちあがって来たのは、昭和40年代のことでしたが、そのころから建設に必要な調査が始まりました。ブルドーザーが入って谷を削ったり掘ったりしましたので、谷一面にあった、ワラビやゼンマイが次第に減ってくると同時にサンショウカジカ(ヒダサンショウウオ)や魚(ウグイ、カジカ、ヤマメ)、きのこも、めっきり減ってしまいました。
 昭和30年代は、大滝小学校の裏山に登ると、頂上近くの南斜面にきのこがたくさんありました。大きな木の幹には「クマンベラ」がついていましたが、毒きのこだといわれていたので採ってきませんでした。クマンベラとはツキヨタケのことです。秩父地方の方言は訛が強いので、秩父人でないと理解できないものがあります。山中さんのクマンベラについても、いろいろたずねてみたり、本を見せたりした結果、わかったわけです。
 クマンベラはクマノヒラ(熊の平)からきているように思います。秩父の方言では「ひらたい」を「ひらべってえ」といいます。また、地名の「上の台」を「うえんでえ」。山の中、川の中を「山ん中」「川ん中」。屋号で上の家、下の家を「ウエンチ」「シモンチ」といいますから熊の平の「熊の」が「クマン」となり「平」が「ベラ」と訛ってきたものと思います。
 大滝の奥の方の人(入川上流)が食べて苦しんだという話を聞いているということでした。

◎次に栃谷(秩父市大字高篠字栃谷)の浅見さんの家で行われていた民俗信仰に係わる話を紹介します。
 浅見さんの屋敷林には、五人でかかえる程の老杉とトチの大木がマダケ林のへりにありました。この大きな杉は、どこからも見える程高くて、氏神様の御神木になっていましたが、昭和41年の台風24・26号で倒れてしまいました。この杉と栃の木の間にある竹林のへりに、白くて傘鉾(かさぼこ)の形をしたきのこがときどきでました。浅見さんが子供の頃、遊びに行くと、ひいおばあさんが、「このきれいなきのこを踏みつぶさないでね」といって、「大変縁起のいいきのこだから、このきのこが出ると、ずっと昔からの習わしで、赤飯をたいて氏神様のお供えにするのだ」と、やさしく話してくれたそうです。きのこの名前がキヌガサタケとは知っていなかったようです。杉の木がなくなってからは、きのこも出なくなったようです。

◎きのこを切り傷の手当に用いた話(民間療法について)
 秩父地方に限らず広く聞く話ですが、キツネノチャブクロ(ホコリタケ科)は成熟すると茶褐色になります。この頃、きのこを踏みつけたり、手にとってつぶすと茶色の胞子が飛びだします。
 山仕事で切り傷をした時、このきのこがあると採って、傷口に胞子をふりかけると、血が止まるといいます。年寄りの誰もが言うことですから、真偽の程をためしてみませんか。




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