ボリビア体験記
塩津 晋(浦和市)


a  ボリビアは南米のほゞ中央にある内陸国で、日本の3倍の国土に700万の人が暮らしています。この国は、東西のアンデス山脈に挟まれた高度4000メートルの高原地域(アルチプラノという)、その東側の分水嶺を越えた渓谷地帯、それに続く広大な低地熱帯の、亜寒帯から熱帯までの自然条件を異にする、3階建の国といわれています。
 私が滞在したのは、ペルーとの間にあるチチカカ湖に近い首都のラパスで、高原の一角にできた谷底にあたる高度3500メートルから4100メートルの高原上までの間に展開した坂道の街です。
 出張の目的は、国際協力事業団(JICA)の委嘱よる『ステビア栽培技術に係る技術指導』という、3カ月の短期専門家としての業務です。
ここでステビアというものの説明を少しばかりしましょう。ステビアとは、本来は、パラグァイ原産のStevia rebaudiana というキク科植物の属名です。ところで皆様が漬物やダイエット飲料などを買って『(甘味料)ステビア』との表示を見たことがあるかもしれません。これはステビア抽出物の省略表現なのです。このように日本での現実は、甘味料そのものを包含して使われいるわけです。
 こゝから話が混線しないよう話題をグループ毎に絞り、話の順序としてステビアに関する業務のポイントから書くこととします。

1.ステビアとボリビア

ボリビア農牧省は輸出振興と農民の所得向上の為ステビアの栽培・製品化を目論んでいて、日本としても若干の協力をというわけです。
 私の場合、諸々の情報提供のほか具体的テーマとして含量の測定法と抽出精製法が要請されている技術的項目です。特に分析手段の確立は国際競争力あるステビア乾燥葉の品質評価、新品種育成等の為、事業推進の当初から避けて通れない段階です。
 その分析装置(専門的にHPLCという)と或程度の関連資材は民間の善意により、幸運にも携行することができました。しかし、現実の測定には小実験室環境がなくてはなりません。先方の政府機関からの費用支出は全くないことが分り、自費での購入と貸してもらえる所を探して、なんとか実験態勢が整ったのは2ヵ月後の苦労の果てでした。
 各方面への情報活動のハイライトは、大使館に求められて竪山大使へのステビア事情の説明でした。(ペルー大使公邸での人質中にステビアが話題になったとのこと)
 もうひとつ書添えたいのは、日系二世の女子大生通訳の存在です。まさに分身としてあらゆるき業務から現地の事情や精神的なことまで含めた生活上のことまでの支えとなってくれました。

2.ラパス生活

 サンパウロ経由で1日半かかって4月17日に着いたラパスで、ご多分にもれず高山病の洗礼を受けました。その症状は、ふわふわした気分に始まって、息苦しさや思考力減退と共に2日間全く食べられませんでした。私のケースでは2日・3日目がピークで二晩備え付けの酸素ボンベのご厄介になってしまいました。なんとかまともな生活に戻っても、荷物を持ってついせかせか歩いてしまった翌日は逆戻り気味になり、極度の乾燥にもよるでしょうが、ふわふわ感、鼻水、声かすれ、ほてり、など風邪の治りかけのような状態になります。でもよくしたもので、半月後にたまたま調べた赤血球数は標準をかなり上迴って適応が進んでました。それでも、飲み過ぎた時の息苦しさなどの異様な気分やちょっとした坂道や階段の息切れなどはずっと続きました。
 ラパスの市街は、低い所が金持ちや外国駐在員の住む高級住宅街で、庶民のすまいは両側の崖の上へ上へと登っていっています。なにしろ上と下では600メートルもの差があるのですから気温と空気の濃さが随分違います。私にとっては、ベットサイドからの存分の夜景という和みを与えてくれました。
 仕事を進める必要資材購入の為の節約と口に合わないひとり外食を避けて、おもに自炊生活をしました。市場でよく野菜物や肉類を、加工食品は主にスーパーでした。もともとあまりおいしくないジャポニカ米ですから圧力釜なしには無理です。それでも煮豆やキムチを作って邦人仲間に喜んでもらったりしました。日本食食堂一回分で一週間分の副食素材が買えます。
 例えば、Kg当りニンジン・トマト80〜100円、砂糖75円、肉400円、とりレバー50円(これはボリビア人が食べないため)、たまご10コ80円、バナナ1本5円位、パパイア1コ10円といったところです。輸入品は日本と同じ位の値段ですし、緑茶、海苔、ふりかけ、干椎茸、漬物等はサンタクルスまで飛行機で行かなければ手にはいりません。
 ラパスの中心部は車の超過密で、その6〜7割は各種のタクシーです。先ず驚いたのは殆ど全部が日本の中古車で、乗用車は普通と乗合とがあってメーターなしでそれぞれ110円(5Bs=ボリビアノス)、50円(2Bs)です。そのほか目立つのは日本の普通車と軽のワゴンの乗合車で、よく子供が行先を連呼しながら走っています。軽ワゴンに9人乗せてせっせと走っており、両方とも市民の足となっているようです。帰ったら私も考え直して軽にしようかなと思った位です。そのほかにミクロと書いてあるブラジル産のボンネットバスが黒煙を空に吐き喘ぎながら走っており、25円です。ただし大型トラックは、多分ブラジル製の、ボルボが優勢で次がベンツといったところです。
 歩行者が道路を横断するひとつのタイミングは渋滞している時で、車の間を泳ぐように手で押えながら渡ります。とにかく車も人も、よくも際どく当たらないものと妙な感心をしていました。
 そんなわけで、排気対策のない車が坂道をのろのろ動いているのですから、日本で久しく嗅いだことのないツーンとくる懐かしい臭いを所もあろうにアンデスで体験しました。
 もうひとつ道路のことで腑に落ちないのは、所々に蒲鉾状の障害物がしつらえてあって、それに近付く度にブレーキを踏まなければなりません。特別な道路でなくても料金所があって、その手前にも、交差点前にもあります。 この場合はなんとなく分りますが、夜間の安全走行の問題点をぬきにしても、どうも自動車道路の本来の趣旨と相容れないような気がします。あるいは、車社会の途上にはこの感覚が大衆的なのかも知れません。

3.ボリビア各地の自然と諸事情

 (1)ラパス周辺

 私が居たのは4月から7月にかけてですから秋から冬ですが、緯度(南緯16〜17)の関係であまり年間の温度差はありません。
 CNNニュースの天気予報を見ていると11Cとか12Cとでていますが、ちっとも寒く感じません。というのは、昼夜の温度差が20もあるからです。朝タクシーに乗ると運ちゃんが「ムーチョフリオ」(とても寒いね)と愛想を言いますが、当の本人は張切っている精か爽やかな寒さという程度でした。折々、建物の蔭の路上に氷を見かけることがあります。これは気温が0C以下なったというより、蒸発に伴う自己凍結と思われます。
 南半球の植生は日本とだいぶ違っていて殆ど判かりません。国土の半ばに近いアルチプラノと渓谷の乾燥地域で目立つ大木は、かなり前にオーストラリアからもたらされたユーカリ樹で、極く部分的に植林されています。ラパスに色どりをそえている樹木は、エニシダに似たレタマと国花で赤いカントゥータ、アルチプラノの典型的作物はアカザ科の穀物のキノアで、僅かのイネ科の草を食べているラマと羊の家畜です。
 アルチプラノでの関心は、この様なステップ平原に適性な樹木や覆葢植物を植えて行くとかで少しづつでも地表条件が変えられないかということです(例えば甘草、葛等)。
 ラパス市内から谷筋の下の方までの乾燥した環境で、木の枝から電線までにびっしり着いている怪しい植物が目を引きます。殆ど灰色で先が細くなっている数センチの紐状の束生体で、取って見ると褐色の柄の先にkanj_sak.bmpのようなものがついているので蘚苔類と思われます。空気中のごみと僅かな水分で生きているのでしょうか。
 傾斜地などによく見られるウチワサボテンの赤い実をトゥナといって、生食したりジュースにします。何でもチャレンジと苦心して崖に登って赤い実を失敬してきましたら、翌日まで細かい刺毛が手からとれずチクチクと罰が当たってしまいました。
 野生の棒状のサボテンなどもあって、サボテンとは気温にあまり関係なく乾燥地域に生育するものと知りました。
 朝に夕にラパス市内から望む万年雪を戴いた六千四百余メートルのイリマニ山、このような山々の連なる東アンデスの4700メートルの峠にさしかかると、吹きつける雪に逢い、この辺りの地面にジャガイモが置かれていました。
これはアンデスの食糧として有名な凍結乾燥品のチューニョづくりをしているところです。

 (2)渓谷地帯

 大西洋側に少し下がって行くと、ここだけは上高地を思わせる、湿気による環境の、いわゆる雲・霧林で、針葉樹下の苔の間からボリビアでただ1カ所軟かいきのこ2種(キシメジ属とイグチ科)を見つけことができました。これぞとばかりカメラに納めましたが何故か写ってませんでした。どんどん下がって2000メートル前後になると、色どりも増し栽植されているバナナ、パパイア、コーヒー、キャッサバ、柑橘類などのほか斜面を四角の緑にした公認のコカ畑があちこち見られるようになります。この急峻で悪路の限りの一帯をユンガス渓谷と云い、落石の滝には胆を冷やしました。
 山の集落は谷でなく決まって頂付近の緩斜面にあります。どの集落にも格好の部位に色とりどりの花の木や草花が咲乱れた四角ぽいロータリー的広場があって、周りには必ず教会と役場があるほか土間風の食料品・雑貨店(コカの葉もある)、電話をする店、食事をする店などがあります。広場や道端に例の山高帽、重ねスカートのおばさん(かなり若くても年配に見えるので、失礼)が食料・菓子・果物・野菜などをそれぞれ地面に並べて売っています。
 山の民の表情は、都市にいる同じ筈のインディオと違って、もう日本でも殆ど見掛けなくなったような、穏やかで親しみのこもった顔です。買物にはいった店の上品なおばあちゃんが「ユンガスの印象はどうですか」と話かけてくれ、大抵のレスポンスは「ムイビエン」(大変結構)とか「グラシアス」で、後はこちらも負けないように表情で応えます。奥から出てきたおじいさんはハッとするくらい恩師にそっくりだったり、ふと行き会った大きな籠を背負った老婦人は20年前に亡くなった母の面影といった懐かしさです。日本語で通訳嬢と店の中で話していると「どこの国の言葉か」と聞かれ、「ハポン」と答えると「吾々の言葉(アイマラ語)と同じアクセント」といっていました。
 更に東の渓谷地帯の中間に位置するコチャバンバという都市に来ると山々はなだらかになって道路事情もよくなります。反面、降雨量少なく乾燥状態に逆戻りします。従って、ラパス周辺より生育状態は気温や土壌条件の面でよさそうですが、同じようなユーカリの大木、キノア、ジャガイモ、トウモロコシがみられ、それらに加えて10数メートルの椰子、歩道の敷石を持上げている街路樹の大木、リュウゼツランの美事な花梗(花茎)などが特徴的でした。野菜などは田んぼのように低くして水を引いたり、あぜの低い筋に種播きして作っています。
 ここの有名高校を卒業した通訳氏に初めての散髪に連れて行って貰いました。10Bs(250円)で、その時は帰国しても床屋さんに行く気がしなくなりました。ホテルに戻って肌着にいっぱいの毛のつまみ出しと洗髪に一苦労しました。その後ラパス市内の25BS、ホテル内の50Bsの店に行ってみましたが違うのは値段だけで、これなら、日本の理容店の方がましと、感じました。
 嬉しいことに、通訳氏の友人とメスティャXペイン系とインディオ系の混血)の男性との挙式披露に出席するチャンスに恵まれました。一晩中踊り明かすそうで、夜中の1時に見る阿呆をやめて引き上げました。どこの食卓でもそうですが、そのボリュームと油っこさには辟易するのと、残す勿体なさに情けなくなります。歩道に張り出したテラスで食事した時は色白の子供まで貰いに来てくれてほっとしました。100円前後の軽いコースメニューですと残さないですみます。

 (3)サンタクルス周辺

 低地平原の主要部分は北上するアマゾン支流域、南側はラプラタ上流になります。私が訪れたのは、ほんの一部の人口60万のボリビア第二の都市サンタクルスとその周辺だけです。ですがここへ来てボリビアの活気や期待面に接することができました。
 と云うのは、近くにオキナワという地名になっている移住地とサンファンの九州の移住地があって、ボリビアの農畜産業をリードしているだけでなく、移住者の二世達による商工業への進出によって、一帯の拡大・発展を膚で感じるからです。ラパスとコチャバンバは役所・大学・外国機関・銀行・ホテル・レストラン等のオフィスや三次産業はあっても生産産業の影が薄いのに対し、サンタクルスではそれらに加え、土地の生産性による油・砂糖・食肉等の工業から土木機械や生産材の流通まで目に触れます。
 街路樹などに赤く素晴らしいタヒーボ、幹の中間が膨らんだわたの木というトボロチ、郊外の蟻塚、ユンガスで食べたホチやカピバラという大きなねずみのいる動物園など目を引くものばかりです。
 サンファン移住地の1戸当りの耕作面積は200町歩位で、御殿のような住居と施設を垣根見ることができました。また組合の試験場の一角でパラフィン被覆方式のシイタケが発生しているのには感心していると、ほだ木はなんとユーカリとマンゴーでした。ユーカリは材からユーカリプトールという香油を取るくらい精油成分の多い材で、さすがに無理と踏んでいたので驚くと共にシイタケ菌の棲分け能力を思い知らされました。
 そのほかキノコに係わることで、ステビア事業を始めようとしている沖縄出身の方に、シイタケ栽培に関する相談と、種駒の作り方、ボリビアで取れるコフキサルノコシカケの日本での流通事情等の宿題をもらっています。
帰る時、持って行ったキノコの図鑑や読物はその方に残しておきました。
「今度来る時は、サンタクルスに駐在してステビアだけでなくキノコの指導もお願いします。」との外交辞令をもらいました。
 だらだらと長く書きましたが、これでも、3カ月を3年と感ずる程の多事多難であったボリビア滞在の部分的記録です。そして、現地で最終的に到達した思いは、『資金や技術は飽くまでも協力の方便であって、国際協力の醍醐味は熱い心と心にある。 』ということです。




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