茸大好き
井上成一


a  私が埼玉きのこ研究会に入会したのは、八木橋デパ−トできのこ展が開かれた時です。すぐに入会しました。 福島先生が一生懸命見学者に説明していました。 大きなお腹をした優しそうな、とても感じの良さそうな人でしたので、どうしたら入れるか聞いたところ、ノ−トに名前と住所を記入して下さいと言われ入会しました。
 翌年からたいていの例会に参加しました。 三月は熊農で稙菌、六月の川越工業、七月の長瀞、八月は志賀、九月の南郷村、見たこともない、みな驚くようなきのこばかり。 自分の人生観が変わるようでした。
 きのこを採りたいと思ったのは何故だろう。学生の頃、雲取山の三条小屋の親父にきのこを食べさせて貰ったのが未だに忘れられないから、その頃からだろうか。当時は、イワナなんか30〜50センチ位のはざらである。しかも一日で約50匹は持ち帰った。それを私がお腹を裂き料理をするのだが、お腹から回虫が嫌と言うほど、出るは出るは気持ちが悪くなった。35年前の話ですから、今ではせいぜい15センチでも釣って持ち帰る釣り人である。
 さて、三条小屋の親爺が食わしてくれたあのきのこは、マイタケ、なめこ、ムキタケだろう。未だに忘れられない味でした。その事がいつも頭にありました。
 新聞の埼玉版に八木橋デパ−トの事が出ていましたので坂戸から熊谷まで川越、大宮経由で行き一日がかりでした。 一杯100円のきのこ汁が大変うまく、お代わりした。きのこもさることながら、色々な会員の人と知り合いになり人生が楽しくなりました。此の大事な友人関係を大切にしたいと思います。
 今まで色々な茸に巡り会いましたが、忘れられない事は、平成7年の10月初旬、三条小屋に毎週来る石川さんに飛竜に松茸取りに行こうと誘われて行ったことです。あいにく何も採れず手ぶらで帰りました。途中ガレバがあり、此処から下れば小屋に近道だから降りようと誘われ下りました。段々と水が流れてきてやがて沢と沢が合流仕始め大きな流れになり滝も有り恐い沢になって来て、これは大変なことになったと思いきや、2、30メ−トル先に、何やら黄色い大木が見えたので、石川さんあれは何ですかと聞いたところ、いきなり万歳を仕始めたので自分も万歳をしてしまいました。
 そばへ行き見たところ、それはきのこでした。しかし二人ともまだきのこに詳しくなく、ナラタケらしいと思い採ろうとしたところ、写真を撮ろうと石川さんが言い出したが、二人ともカメラを持って来なかったとても残念なことをした。今から思うとこんなに生えているきのこはどの本にも写真が無いくらい立派なきのこでした。ブナの倒木で長さ3メ−トル位、直径50センチ位の木にびっしりと生えていた。遅からず早からず丁度食べ頃でした。採りも採ったり魚のトロ箱3箱位有り、持ち帰るのに苦労しました、滝に来ると巻くのが大変なので投げ捨てたくなり、薮にはいると又ひと苦労です、やっと小屋へ着いたら親父が此はきみ茸だと教えてくれた。 山梨の地方名らしい。しかし正式な名前はナメコであった。昔親父が登山客(約20名)にきのこ汁を出したところ全員嘔度と下痢をしたという。どうもツキヨ茸を食べさせたらしい。今なら営業停止である。ナメコを小屋に三分の一ほどお土産に置き帰りました。
 その後色々なきのこを食べました。しかしあれほど感激したのは未だ有りません。これからももっと驚くほど珍しい茸に巡り会いたいものです。又これからも勉強をして皆さんと色々な所へ行き知識を広め、きのこを研究したいと思います。



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