きのこへの感受性
神ナロウド(青森市)


a  青森ネブタの賑わいを横目にして、キノコを窮めたい旅をした。北限のブナ林・北海道黒松内町へである。
 青森市が民俗芸能をまちおこしシンボルとするとき、この町は「学術的な自然に触れよう」というのが町のシンボル・フレーズであり、町機能のフレーム・ワーク規準となる。
 私は天然記念物指定の歌才(ウタサイ)ブナ林入口で、サンダル履きの二人の女性に会い、「森はどうでしたか、キノコがありましたか」と聞く。「太いブナや太いシラカバが混じってそれに、見通しがよいし、深い山に来たみたい、キノコはサルノコシカケぐらいで、わからないものばかりだわ」とのこと。渓流傍に入林届の箱、中のノートに入林目的欄がある。これには観光やその他との記入が大半で、私のようにキノコを見るという記入はない。
 夕方5時、黄昏れの中に朦気がある。 立枯れのブナの巨木にびっしりとコフキサルノコシカケ、これが小から大まで全部、傘縁から蜜様の滴りを煌かせている。 松瘤の松蜜に似た様だな、と見つめる。この澄明な金色の粒々は、人の気配がない山中できらきら輝いていて、私には考える余裕がなく、ただ脳に映えている。足下の倒木に、小型群生のツリガネタケが癒着し合い連なり、列状を成している。しかも別な立枯れには同じツリガネタケが独立しながら列を成す、この違いが興味深い。
 樹木が横たわるのと、縦に立っているのではキノコの生態に違いがでるのだ。
 この森の大王ミズナラは注連縄(しめなわ)をまわしていた。 蔭の樹洞に沿って生えているサジタケは、根気よくも50枚以上全てが叩き壊され、これでは着生基質と菌類(キノコ)の写真を撮れない。洞(ホラ)の周辺ぐるりのキノコたちは、人間に衝動を起こさせたのだ。この場に充満していたそのエネルギーに私は、たったと飛び退って、離れた笹の中からこの惨劇を思い描いた。天然記念物の林中で狂って叩いているその顔は美しく一心不乱であった。
 笹下の倒木にウスヒラタケが横列に生え、6〜7cm離れてカワラタケがそれを睨みながら沿って列を成している。基質上にこの距りでは……と連想がおこる。それは、青森の堀子岳鞍部に空中湿度高という特殊環境ができると倒木に、ツブキクラゲ、5cm離れてニクハリタケ、これを押し上げているカワラタケという異種間動態の場面がみられたことを思い出したのだ。私には興味のある場面でも、キノコたちには阿修羅の場だ。逢魔が時の、頭中での迷い路は奇問を見つける。
 帰路で、ぼうーっと白いのはケシロハツモドキ、茜(アカ)いものはチリメンチチタケだなと。これでブナのベニタケ科といわれる密接関連の種がようやく見えたのだ。科学する頭と、家に残した病人への不安の頭が交錯するが今、私は旅にいるのだ。
 思い返すと昨年今頃の夕暮、私はハバロフスク北郊のアスペン・トリーの林にいて、若いコフキサルノコシカケに指跡を付けながら、蜜は滴らないなと、みつめていた。別の生立木の地際に、三本指状の多孔菌が生えていて、これは地元のセルゲーエフさんもエレーナさんにも不明のキノコだった。一昨年の今頃の白神山地と比べたときハバロフスクの山の接地湿度が小さい証に、地表に清楚なタマネギモドキタケがいて、ふつうは地上生のこのキノコが白神の白沢断層谷の湿木の幹上にいたことで対照することができる。
 この小粒の円いキノコを指してセルゲーエフさんが「オジサンのタバコ」といったが、ホコリタケとまちがえているのだ。三日後、バイカル湖岸のシベリヤカラマツとアスペントリー混交林に、ホコリタケ集塊を見てそれを確認した。また集塊の中に驚くべきことを見た。この中に別科のキノコが混生していたのである。異種間和合性ありとすれば、どのような相互反応の生活形なのだろう。
 思いを断って帰路を急ぐ。町の人だれかれとなく話しかけても、気持ちよく応じてくれる(この町は、ブナセンター研修所、自然の家ガイド、特産案内、ブナ林観察駐車場、林内自然道、研究奨励賞、無料送迎車、等々に行政の一貫性を感じさせるのだ、それだけに、行政効果の+(プラス)−(マイナス)がすぐに、みえることだろう)。歩きながら、キノコを採りますかと聞くと、「来月からだね、誰でもラクヨウだね、それ以外はボリボリだね、あとはわからんね」という。これではブナセンターを経ての観光行政浸透は、キノコについての配慮はどうなのかな、と思う。
 旅館についてから、女将(おかみ)や牧場兼業の旦那と話をすると「この町ではキノコを売る店はない、自分で採るから。キノコ通でも、ナメコ、ムキタケぐらいまでだな」という。
 ここでもブナセンターや自然の家の活動が気になる。なにしろ素晴らしいシンボル・フレーズなのだから。イルクーツク市民が食べるキノコ30種に比べ、それ以上ではと期待したからだ。
 私は、我が家の大好物、ハナビラニカワタケを勧めたが反応は鈍い。そういえば私も、中国四川省雲陽県にいる友人からシロソウメンタケを勧められても採りに行かないがなぜかなと自問自答する。大陸の生物的環境と異なる日本のアイランド・シンドロームでは変異体を警戒し、さらに調理法の工夫をしなければならないと考え、大儀なのだ。また人は眼で判断するが、物体や出来事の本質は見えないところにあると、わかっていながら忘れる。
 キノコ好きが、オオグムタケを刺身で、というが中国文献では恐ろしい皮膚炎を起こす毒菌としている。しかし人間は菌類(キノコ)の生化学防御物質(毒や忌避物質)を調理の工夫で破ってきたのだから日本人にもフィンランド人のように、キノコの辛さ、渋さ、苦みを抜いて、ベニタケ科、ホコリタケ科、チャワンタケ科、イグチ科、それにカキシメジ、ベニテングまで食する時代が来るのではないか。 北欧、ロシアでシャグマアミガサタケの美味につられて中毒者が出るように、日本でもガンタケ、ハエトリ、ヒトヨ、ツキヨ、ウスタケ等々についての中毒者を出しながらも食域は拡がるだろう。
 しかし、食べることよりも、キノコがもつ生態相関物質(アレロケミクス)を医学的効用研究の為に重要視するべきである。また、それ以上にキノコたちの生活のしかたから、競争と平衡のとりかた、そして進化する生活形を学ばなければならない。
 翌朝、宿の食堂に大学の森林生態学者二人と、ミシガン大学の学者夫婦がおられた。おかみが私を、キノコ好きと紹介したので、これは良い機会と喜んだ私は、樹木成熟と菌類の作用、菌種間の不・和合性について尋ねた。が、応答はない。何か失礼したかなと訝かり、慌てて歌才ブナ林のギャップをうめている白い肌の樹種は、シラカバなのか、ダケカンバですかと愚問を発した。ただちに答えはきた「両方でますよ、あなたは葉をたしかめないのか!」と叱られてしまった。愚問に対する答えは愚か、であることは知っていたがさすが鮮やかである。でも最初の無答無視と比べて、片手落ちの感がある。
学者も多様だ。
 この事については後日、ブナセンターへはキノコ好きは訪れることがない事情となっているのを確かめたり、また当町発行のブナ里ガイドブックに森林生態と菌類(キノコ)との関係のページを付ける要望を自然の家宛で出したことで私自身の中の結末とした。
 前述の学者は、この町設定の研究賞を授賞し、ブナセンター指導の博士とともに、この町の「学術的な自然にふれよう」という観光行政のパラダイムをきめるいわば、生態学上のキーストーン種にあてはまるのであり、言動のおよぼす影響は大きいといわねばならない。
 この町のキノコ採りの人々は、経験を積み上げての植生の民族分類をしていて山路や林相をよく理解している。 私が考えるところではさらに彼等が、この町の森林の成熟段階、外生菌根菌のキノコ発生の地形、撹乱(風倒木・流水・崩土)依存性の菌類キノコ、着生する基質(腐朽木・地表環境)の生活環と菌類キノコ、さらに北限ブナ林地としての亜寒帯林と冷温帯林の攻めあう森林でのキノコ分布と生態についての知識をもち、そこでガイドする意欲をもつこととなるような援助が、公的機関から得られるならば、住民による学術的自然観光立町への具体的参加が進むのではないかと思うのである。
 ここのブナ学術保存指定林のうち、白井川ブナ林は奥地なので、歌才、添別と比べ人の気配がない。 私はここで、菌核ありのタマチョレイタケと、菌核なしのものと二本が並ぶ場面に会い、幸運に酔った。 その上、タモギタケの大群落を大袋に採ったので、丸木橋に乗せカメラを構えていたら、エゾジマリスが木から降りてきて、私を何度も見てからキノコ一片を持って走り、次に頭が白いタヌキが音もなく薮(ヤブ)から出てきて、私と睨めっこになった。 香りに釣っれて出てきたのだろう。
 この話は、帰ってからどこでも羨ましがられた。 微笑みながら……。



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