山の幸『山芋』
榎本建七(岩槻市)


a  晩秋の頃の山芋掘りは、何といっても忘れられない秋の楽しみの一つです。
 マイタケ採りが終わりに近づき、木々の紅葉も一段と進み、朝夕の肌寒さを感じる頃、村の人々は農作業も終わり冬支度にかかるときがやって来ます。その前に村人は年中行事のように山芋掘りを楽しむのです。ご多分にもれず、わが家でも毎年行っておりました。収穫した山芋は長い冬の蓄えとして、それはなくてはならない大切な物でした。春の雪解けまでに食べる分のほか、親戚や知人にお使い物として使ったり、また病気見舞いに使ったりもしました。
 さて、当時のわが家の山芋掘りのスタイルですが、まず「ネコ」という背中当ての上に縄で編んだ「テンゴ」という背負い篭を背負い、腰にはナタ、手にはカマと、掘る道具として「トングワ」と「ツクシ棒」、そして足には地下足袋という出で立ちです。  山芋掘りの場所は、マツタケ採りの時にあらかじめ目星をつけておいた所をねらいます。山芋掘りは、まず、山の頂上から土砂が崩れ落ちたような傾斜地を見つけるのがこつです。斜面は掘るのに労力をかけず、掘り出す土量を少なくさせます。さらに、芋づるの数も多く、移動しないで一日掘ることができる場所を探し出すことが、その日の収穫に結びつくのです。山芋は食べられる太さになるまでに、自然の条件下では数年の年月がかかります。そう簡単に成長するわけではありません。
 小さい頃から父に連れられて行ったことはありましたが、私にとって何といっても最大の思い出は高校時代のことだったでしょうか、たった一度だけ兄と一緒に行った時でした。その時も確か二人とも例のスタイルで、あらかじめ目星を付けていた場所へ入りました。しかし、最初に入ったところは芋づるが小さく、数年前に掘った穴だらけで、結局そこはあきらめ、通称「湯沢横手」という場所に移動しました。そこは一見してそう広い所ではなかったのですが、やぶの中に入ってびっくり!なんと(針金の)6番線くらいの太さの芋づるがまるで山芋畑のように斜面一面に生えておりました。昼食もそこそこにして、早速、兄と二人でひざまづき、夢中になってただひたすら、次から次へと掘って掘りまくりました。掘るというよりは山を崩すように。
 秋の短い日がいつのまにか暮れかかり、大急ぎで帰りの身支度をしようと掘った芋を集め始めてびっくり!掘るのに夢中で、どれだけ掘ったのか、その時までわからなかったのです。なんと、二人ではとても背負いきれないほどの量でした。とりあえず荷造りのできない分は、その場に残し、翌朝あらためて取りに来ることにして、早々に山を下りました。山芋は途中で折れないように荷造りを厳重にするので、たくさんの本数をむやみに背負うことはしません。その時ほど見事な山芋がたくさん掘れたのは後にも先にもありませんでした。秋の一日を兄弟で汗を流した思い出は今でも心の中に鮮明に甦ります。
 毎年、紅葉の季節になると、今一度機会があれば山芋掘りがしたいと計画を立ててはみるのですが、なかなか実現できないでおります。



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