風景の謎を解く、金の鍵と白金の鍵
−バイカル湖横断とブリヤート・モンゴルのハマルダバン山地を旅して−
神ナロウド(青森市)


a 広い風景を遠くまで見つめ、目前の風景細部に謎を見て、物思う旅を綴る。

 ここは、バイカル東岸のセレンゲ河口南側の湖岸です。河口近くには1862年の大地震で湖に沈んだ、サガンステップとよばれブリヤート人1300人と家畜が居住した土地があった、と言われています。 湖で泳ぐ中山さんが「水中は赤黒くて、目の前でも見えない」と叫びました。(写真1-1)。 水辺が紅茶色をみせていて、浜辺には穏やかな顔の白い肌のスラブ人と褐色肌のモンゴル人が仲良く、寝そべっています(写真1-2)。浜辺にいる人たちが特に異常を感じている様子はありません。中山さんが「鉄分が多い水かな。」と言いましたが、岸辺の水を手で掬って鼻に近づけても鉄錆の匂いがしませんでした。

(写真1-1) (写真1-2)

白神山地の鉄分が多い川水や鉄錆色の写赤い石を見慣れている私の眼には、明らかに錆色とは異なることがわかりました。これはまた、漂う赤潮や藻類の感触でもなく、泥や粘土とも思われません。西岸の水辺には見られなかったし、後での、漁船に乗った時の水際でも見えなかったのです。
 バイカル湖博物館資料には、湖底は微粒子の泥土で灰青色とあり、また人々が長生きをすると言って飲む水質は、PH7.2の弱アルカリ性で、透明度は世界一とあります。旧ソ連科学アカデミー海洋研究所報告書によれば、湖底の堆積層の厚さは2000m〜2500mとあり、そこにはバイカル湖が2500万年前に出来た頃からの歴史が秘められていて、今後の解明が待たれているというのですが。さて、東岸の{この湖水の紅茶色は何なのか?}と、その謎にとらわれます。
 ここの湖岸へ来る前に宿泊した、首都ウランウデの中央広場にはウラジミール・レーニンの巨大な首像が据えられていて、広場周辺のケードウル(チョウセンゴヨウマツ)の樹木はさらに、重厚さを演出する立派な樹影を落としていました。このケードウルが生えている山は聖域と呼ばれているということから、私達、森好きの好奇心グループは心踊らせて、そのハマルダバン山地を目指し、ガイドのビンバ教授(ブリヤード総合大学)と一緒に山麓のバイカリスク村に近い、この湖岸のクルツシュナヤ・キャンプ場のロッジに宿泊していたのです。
 翌日、村の民家で賑やかに昼食をとった後、村外れにある湖へ注ぐ川を見に行きました。柳に覆われた川は堤防もなく流れてゆくままの姿であり、ここより自然保護区との看板が立っていました。吊り橋の上からふと、浅瀬を見るとあの湖岸の水と同じ赤い紅茶色であるのに気付いたのです(写真2)。

(写真2)

 川の上流に赤くする原因があるようです。川に沿って、車が登れる林道があり、森を目指しました。1時間半ほど走り、峠の手前で私や荻島さんやAさんが菌類(きのこ)の分類と生態観察を目的に降りました。そこは林道から、左側が急斜面で、尾根には針葉樹が見えますが、斜面は人の頭大の石が敷き詰められたような状態の上に、草ではないものが繁茂しています(写真3)。

(写真3)

 右側は下がる緩い斜面で広葉樹林下に草が生え、段差があって低くなったところにはシダ類が繁っていました。


*地形断面図―標高1400m;岩塊斜面
−アンズタケ、分布上限のシラカバ


 左側の岩石崩壊斜面上の繁茂は地衣類(ミヤマハナゴケ・ヤグラゴケ等)で、しかも繁茂が濃い部分には、濃い金色のアンズタケの大群が傘を持ち上げているのです。日本では見られない風景で、ハマルダバン山地でも急崖地でなければ見られない風景でしょう。
 峠に全員集合しての昼食、時計を見ると夕方の5時でした。バイカルシベリアの夏は夜10時でなければ暗くならないので、明るい昼が続くと時間をこうも間違うものか…。
 峠は伐採後なのか、平坦地で広く、草地となっています。早速、シベリア蚊の襲来です。周囲は黒々とした針葉の梢が鋭く尖っている林です。シャーマンの筆に墨汁をつけて空に描いたようなぎざぎざ森には、ビンバ教授が言うにはマツ科樹木の3種が生えていると言うのです。太くどっしりしたケードウル、尖梢をみせるヨールカ(エゾマツ)、拡がるダウリアカラマツではないかと、私は観察しました。 聖域の森での昼食時に、酒を飲み騒ぐ人たちから離れて、チェルニカ(ブルーベリー)を採っているロシア人運転手さんと一緒に巨大なケードウルを見上げて、オーチニハラショーとか、カカヤクラサター(なんて美しいんだ)と言いながら、マツ科樹木と共生する菌根性のきのこを考えていました。あっ、そうです、さっきの急傾斜地では樹根が地表近くにあるので、きのこが出やすいのです。大群のアンズタケは岩石下に浅く這っている、尾根のどれかのマツの細根と結びついているのです。それにしても、樹幹とは20〜30mも離れているのです。昼食した峠は、見事な針葉樹の世界で、林床の草は丈が低く、チェルニカの実が大きく、甘く熟していました。
 また、林道から右側の緩斜面での広葉樹林でも、「これは妙だな」と思ったものがあります。シラカバが混交しているのですが、このあたりのシラカバは垂直分布上限なのです。植生遷移移行帯には、衰えていく退行現象の姿が見られるものです。ここのシラカバの退行現象は、幹が半円を描いて湾曲し、撓ったような姿で、梢を地表に着けて倒れ伏しています。林内には、そのような奇異な形のシラカバが目につきました(写真4)。

(写真4)

 {シラカバが半円形の姿をとるのは何故か?}と、これもシベリアの森の風景の謎だと思います。
 さらに、シラカバ林についての別の疑問です。シベリアの低地湿原で多湿の所に侵入してくるパイオニア樹種はシラカバだけです。高木の並びが段々と低木となり、ついには低木の列が樹上から徐々に樹幹を欠損させて短くなり、根元だけを残した姿となって列をなしているのを多く見ます。
 比べて思い出すのですが、日本での細い幼若年令木のアカマツ林が春に枯れることがあります。その林縁に出ているアカマツの列が枯死していくのに似ていることです。枯死に関与するのでは?と、化学生態学者たちがアカマツ・穿孔虫類・菌類のヒトクチタケの相互作用についての研究を進めています。ヒトクチタケはアカマツ心材を分解する菌類なのですが、私はこのことから、同様なことがあるかも?と、シベリアのシラカバの幼木を調べました。
 立ち枯れの幼木や折れて横たわる細い木に、1種類のきのこが着いていました。初めの観察ではホコリタケの幼菌だと確信してしまったほど真っ白な球形で、きのこの背や腹がない姿で枯れ木に着いていたきのこを、続々と見つけたのです。ホコリタケの変種かなと思ったのですが、多くを観察していたらシラカバの樹皮に裂け目を造って、生えてくるものが見られました。ホコリタケにはあり得ない生態現象です(写真5)。

(写真5)

 ビンバ教授がそのきのこはシラカバの幼木の林で、よく見ますよと言ったことからハッと気がつきました。カンバタケなのです。このきのこは細い折損木として横たわる状態になると、背と腹が不明瞭な真っ白い球状のまま樹皮を裂かずに生えてくるのです。生立木の状態では樹皮を裂くのです。この生態現象の異なり方は、日本のツリガネタケ小型種〔東アジア要素とよばれて、東アジアだけに分布〕の場合にも、別な現象例ですが、あるのです。湿地に侵入したシラカバ林が、より多湿な環境で成長が逆に弱まり、カンバタケ菌が勢力を強め、幹枯れを起こし、中程から折れて横たわる状態となります。その後、白金色のカンバタケ幼菌がホコリタケ様に、樹皮に裂け目を造らずに出てくるのだと考えると、納得できます。
 前述したシベリアシラカバが半円形をつくる退行現象にもカンバタケが関与しているのでは、と考えを進めるとー。カンバタケは褐色腐朽菌で、辺材部のセルロースを分解する菌です。また、この菌は幹腐れ菌と異なり、幹途中に侵入して根腐れ菌となるのですから、幹中間部が腐朽して弱くなり、その後、樹冠の重みで湾曲し、半円を描くのではないかと考えます。
 日本のシラカバでは、どうなのでしょうか。日本固有種なので、シベリアシラカバとは異なる菌類との相互関係による退行現象を見せているかもしれません。例えば、カバノアナタケとか子嚢菌のキボリア・ペキアナの関与などです。
 峠からの帰路、標高1000m付近で休みました。そこの急斜面には大石が累々と重なっています。地形学用語でのいわゆる岩塊斜面であり、氷河時代の存在を示しています。即ち、その寒冷な時期に岩石が凍結破砕作用によって壊され、斜面上を岩石がゆっくり移動することで出きた(中緯度の、地衣類が覆う化石岩塊流ではなく、新しい)風景です。
 アンズタケが見られた、人の頭大の石が敷きつめられた標高1400mの斜面は、より早い時期に凍結破砕し、次第に小石化したと考えられます。この破砕された小石片上には草よりも地衣類が群生し、この地衣が濃く繁るところにアンズタケが発生するのは保温効果よりも保湿効果が子実体(きのこ)の原基発生を促しているのでしょう。
 ところが、この地衣類をよく観察すると、地衣の柄のみで地衣本体が欠けています。欠けた地衣本体の行方はどこかと考えると、急斜面を雨と共に流れ、谷川へ入ることになります。標高1,400 mから1,100 mまでの全斜面の地衣本体が流れ込んでいるわけです。これが弱アルカリ性のバイカル湖水へ溶けた時の呈色反応はどうなるかと考えをめぐらすと、これは壮大な野外大実験規模となり、沿岸水の部分で赤または紫や黒の反応となっているのではないか?、これが私の推論です。
 ここでも、白金の鍵のカンバタケと同じく、アンズタケが金の鍵となって森の秘密を解く想像力を生じさせていると思うと、きのこたちが愛しくなります。
 ロシア人の運転手さんが谷川の茂みからヤーガダ(いちご)を採ってきてくれました。ここより標高が下の路には、ヤナギランの花が行けども行けども路に沿って並んで咲き、見送っていてくれたことを覚えています。
 翌日、バイカル湖中央へチャーターした漁船を進めたとき、湖上を濃い霧が覆ってきました。この霧がハマルダバン山地へ這い登ってゆくのが見えたのです(写真6)。

(写真6)

 霧が湖周辺の植物や菌類・地衣類そして動物を生かしている基礎的条件の一つなのでしょう。ハマルダバン山地の東側のウランウデ市の年間降水量は300mmと少ないのですから、霧の水分効果が予想されます。
 バイカル博物館資料によれば、ウランウデ付近の山々は老年期準平原のなだらかさであるけれど、バイカル湖をとりまく山々は隆起を続けていて、湖底は逆に沈降中という活動中の大地溝帯であり、年間2000回という地震があるとの事です。
 この山地隆起や大地振動が、ハマルダバン山地の生き物たちの生活にどう影響しているのかと、またまた謎が大きく拡がります。
 霧のハマルダバン山地へ再び訪れたときには、北米の霧のオリンピック自然公園に生息する世界最大のバナナ・ナメクジに匹敵するようなバイカル・ナメクジがいないか、それが世界最大級のベニテングタケや巨大チシオハツを食べているのが見られないか、また、アカリスが蓄えるキノコ庫も見たいものだ等々。そして欲張りにも、そのキノコ庫にバイカリート(バイカル湖特産の宝石)が発見されれば、きのこがシベリアの森の謎を開ける金の鍵・白金の鍵となる物語が完結するのでしょうけど。(2001年8月記)



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