顕微鏡事始
高橋 博(川口市)


a  2001年の春、きのこシーズンの幕開けを祝して我が家で飲み会をやった際、浅井郁夫氏がオオシャグマタケとシャグマアミガサタケを持ってきた。何のために持ってきたのかというと、一つには酒のつまみにするためであったが、もう一つの理由は、顕微鏡の威力をデモンストレーションするためだった。というのも、この日飲み会に集まった横山元、坂本晴雄、矢作博の各氏に対し浅井氏は、かねてから「顕微鏡を買え、買え」と熱心に勧めていたからである。ちなみに、私も浅井さんにそそのかされて顕微鏡を使い始めた一人なのである。
 テーブルに並べられたオオシャグマとシャグマを比べてみると、その名の通りオオシャグマのほうがシャグマより大きく、どてっとした感じだった。色合いも異なるので、並べて見比べれば見間違うことはないと思う。しかし、初めて見る人には判別しにくいかもしれない。たまたまその頃、大久保彦氏が日光で採取したオオシャグマを「シャグマではないか」といってメールで流していて、浅井氏が「顕微鏡で胞子を見りゃ一目瞭然なんだけどなぁ」とか言っていた矢先でもあった。
 どちらも胞子は楕円形だが、オオシャグマの胞子には、その両端に乳首のような形の突起(付属器)があるのだ。そこがもっとも確認しやすい相違点である。また、胞子の表面の状態も異なり、シャグマは平滑だが、オオシャグマには網目模様が見られる。このように、顕微鏡で種の判別が容易になるケースは少なくない。
 オオシャグマとシャグマの検鏡を酔っぱらう前にやっちゃおうというわけで、酒席のわきのテーブルに顕微鏡を置き、デジカメをセットし、撮った画像をノートパソコンに取り込むことにした。切片の切り出しから始まって、撮影してパソコンに取り込み、モニターに映し出すまでの間、要した時間はせいぜい15分くらいのものである。シャグマもオオシャグマも子のう胞子のサイズが大きいので、モニターに写った画像は明瞭で、なかなかの迫力であった。このとき、横山、坂本、矢作の三氏は、「へー、顕微鏡って、こんなに簡単なんだ! こんなによく見えるもんなんだぁ!」とえらく感心したようだった。このときには予想もしなかったことだが、その年の暮れには、春の飲み会に集まった全員が顕微鏡を入手し、覗くようになっていたのである。聞けば前出の大久保氏も高価な中古を買ったという。みんな浅井さんの目論見に、まんまとはまったわけである。
 さて、明けて2002年、こんどは浅井さんの家で新年の飲み会があり、同じメンバーが集まった。このとき『いっぽん』編集長でもある坂本さんから「顕微鏡写真の話でも書いてよ」と言われ、酔った勢いで安請け合いをしてしまったのである。しかし、いざ書き出す段になると、どうにも気が重い。というのも、デジカメによる顕微鏡撮影法については、奥修さんという珪藻類の研究者が、ご自身のサイト「八王子のきのこ」で十分詳しく説明しているのである。「きのこノート」というコーナーにある『デジタルカメラによる顕微鏡写真の撮影』と題された読み物は、じつに完璧で、加えるべき言葉なんかひと言も思い浮かばない。それもそのはずで、私に顕微鏡の使い方やデジカメ撮影法、胞子の寸法の測り方などをコーチしてくれた人物こそ、他ならぬ奥氏だからである。顕微鏡撮影のノウハウについて興味のある方は、ぜひとも奥氏のサイトを読んでいただきたい。そのかわりにここでは、これから顕微鏡をやってみようかという人のために、私が顕微鏡を始めた経緯を少しお話ししておこうと思う。
 話は2000年の春にさかのぼる。当時私は、ウッドチップに出るきのこを観察・撮影するために板橋区と北区の境にある浮間公園によく通っていた。家からは荒川を渡ればすぐなので、犬の散歩も兼ねたきのこ観察だった。五月から梅雨時にかけては、ヒトヨタケ属、オキナタケ属などの小さなきのこがたくさん発生する場所である。なかでとくに目を引いたのがカバイロヒトヨタケとオオカバイロヒトヨタケだった。どちらも傘の頂部に円盤をもつヒメヒガサヒトヨタケ節のきのこである。オオカバイロヒトヨタケのほうはヨーロッパにも広く分布し、"Fungi of Switzerland vol.4"の表紙にもなっている。ちなみに、埼玉きのこ研究会のホームページの表紙にある樺色のきのこもオオカバイロヒトヨタケである。一方のカバイロヒトヨタケは、青木実氏の「日本きのこ図版」に紹介されている種で、まだ学名は付いていない。ただし、海外のヒトヨタケ研究者の間では、アオキという日本の研究者がそういう種を発表しているという程度には認知されているようで、メールでやりとりをしたオランダの研究者もkabairohitoyotakeのことを知っていた(もしかすると丸山厚吉氏が教えたのかもしれない)。で、この2種が肉眼では非常に見分けにくいのである。どちらも成長段階で色が微妙に変化するのだが、見慣れたつもりでも突然わからなくなってしまう。これじゃあ埒があかない。私は非常に歯がゆい問題を抱え込んでしまった。
 解決策は顕微鏡しかないと思えた。オオカバイロとカバイロとでは、胞子の形がかなり異なる。オオカバイロは楕円形、一方のカバイロはもっと丸っこく、向きによってハート形にも似た三角形に見える。なんだか口で説明するのはむずかしいが、判別するには要するに胞子を見ればよかった。
 たまたまそのころ、国立科学博物館主催の菌学講座に一度だけ参加し、ほんの少しだが顕微鏡にさわる機会があった。顕微鏡なんか俺には用がない、と長い間思っていたのだが、案外使えそうだなという感触を得ていた。このころから浅井さんに「もう観念して買っちゃいなさいよ」と言われていたのである。しかし、肝心の先立つものが乏しい。
 そこで、塚越という中古顕微鏡屋と懇意な池田和加男氏に電話をし、5万円程度の出物があったら連絡をくれるよう口利きを頼んだ。ところが、塚越からは待てど暮らせど連絡がこない。これじゃシーズンが終わっちゃうぞ、と心配になってきた。そんなある日、たまたま池田さんの家に行った浅井さんが、池田さんご愛用の携帯顕微鏡を借りてきてくれた。塚越から顕微鏡を入手するまでの間、ずっと使っていていいという。このときに、池田さんお手製の、切片切り出し用の秘密兵器までいただいてしまった。科博で受けた実習のおかげで、携帯顕微鏡を何とか自力で使うことができた。試行錯誤で胞子を観察し、デジカメによる撮影もした。この時の撮影法は、三脚にデジカメを載せ、カメラのレンズを顕微鏡の接眼レンズに接近させて撮るという、極めて原始的な方法だった。それでもカバイロとオオカバイロの胞子の形くらいはとらえることができた。形状の違いを確認できたことで、長い間のモヤモヤが晴れ、やっと溜飲が下がった。まさに顕微鏡のおかげであった。
 その後、八王子の丸山厚吉氏から超安値で三眼の生物顕微鏡を譲っていただき、余った予算で塚越から実体顕微鏡を購入することもできた。
 生物顕微鏡とデジカメのジョイント部には、ビクセンという光学機器メーカーのデジカメ撮影用アダプタを使っている。アダプタの値段は7千円くらいだったと思う。デジカメはニコンのCoolPix950という機種で、毎日のように覗くシーズン最盛期には、顕微鏡に載せっぱなしである。撮影はいたって簡単。ピント合わせはカメラのオートフォーカスに任せ、シャッターを押すだけだ。ただし、いつもうまく撮れるとはかぎらない。当たり前のことだが、目で覗いた以上の写真にはならないので、プレパラートの出来映えが写真の良否を左右する。つまり、いかに切片をうまく切り出すかというところが勝負所となる。最近聞いた話だが、大ベテランの池田さんでも、切片が思うように切り出せなくて苦労することがあるそうだ。当然、私などのやっていることとは次元の違うレベルの話だと思うが、顕微鏡というのも奥が深そうだなぁ、と改めて感じ入った次第。


生物顕微鏡の鏡筒にデジカメをセットした状態。

 縮小や色補正をするほか、胞子などの寸法を測るにも画像処理ソフトを使う(詳しくは奥氏のサイトを参照のこと)。これはセイタカイグチの胞子で、もともとサイズがでかいのだが、19インチの画面でこれだけ大きく映るのだから、見ていて目が楽である。もっとも、撮影時にはかなり目が疲れ、探しているシスチジアやクランプがなかなか見つからないときなど、脳味噌もかなりへたばる。それだけに、探し物が見つかったときは「あったー!」と叫びたくなるほどうれしい。


画像処理ソフトに胞子の写真を表示したところ。

 例えば、図鑑にはクランプがあると書いてあっても、なかなか見つからないこともある。ふつうなら簡単に見ることのできる胞子ですら、場合によっては見つけにくいのである。そういうときに心強いのが、顕微鏡仲間というわけなのである。例えばこんなことがあった。
 ホシアンズタケを検鏡したときのことである。このきのこの胞子はもともと微小で、透明な上に数が少なく、加えてゼラチン質の細胞に埋もれているためになかなか見つけにくい。1時間以上検鏡してもそれらしきものが見つからず、そのかわりに無数の気泡のようなものがあった。私は、変だけど・・・と思いつつも、その気泡のようなものが胞子なのかと思い込みそうになったのである。この話を浅井さんにすると、本当の胞子を探し出して、その写真をメールで送ってくれた。表面に疣のある、特徴的な胞子だった。私はそれを頭に叩き込み、目をさらにして探しまくり、やっと見つけることができたのである。逆に浅井さんに見つからなくて私に見つかることもあった。例えば、去年の暮れに大宮公園で採取したモエギタケ。浅井さんは、「黄金シスチジアがないから、モエギタケではないかもしれない」という。しかし、私にはちゃんと黄金シスチジアが見つかったのである。なぜだか不明だが、このモエギタケはたまたま黄金シスチジアの数が少なかったようだ。浅井さんに見つからなかった理由は、おそらく切片を薄く切りすぎたからで、黄金シスチジアのある部分を素通りしてしまったのである。それにひきかえ、私にはもともと切片を薄く切る技量がないため、厚く切ったおかげで見つかったのかも、と思っている。こうした例は他にもいくつかある。一人では見えないことも、複数の目で見て、情報交換をすることによって見えてくることがある。顕微鏡の輪がもっと広がるといいな、と思うのは、一つにはそういう理由なのである。



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