■ きのこが好き | ||
平城真江(大宮市) |
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私の祖父は、近所の人がきのこをもってくると、「裏へもっていって捨ててしまえ!」
と、いうたという。彼にとって、シイタケ以外は、人局の食べるものではなかった。その子である私の父は、野山に交じり、よくきのこを採ってきた。私の育った秩父の逍山は、チチタケ(うどんの汁の実にする)が多かった。その他、ハツタケ、シバカブリ、ダイコクシメジ、センボンシメジ(正しくは何というか、知らない)などという名前もあった。父にとってきのこ採りは、無心、純粋の悦びで、名前など、覚えようとして覚たことはなかったに違いない。その子の私は、60年安保のときはデモを組んで、議事堂へ行った挫折の世代、失恋と貧困に次ぐ高度成長期をもろにかぶって、きのこどころではなかった。 それで今頃になって、会費を払い、色つきの本を買って、「名前だけでも覚えよう。何かの役にたちそうだ。うまくいったら、食べてみたい」などと、さもしい心根でいる。人間としての品性を失って、行きつくところまで行きついた感がしないでもない。 そのせいか、マイナスイメージをもつきのこが好きである。輝く太陽を避けてひっそりしているのも、見えないところで、せっせと菌をのばしているのもいい。傘の裏側にびっしりヒダがある形も見ていると合理的で、それ以外の形は考えられない。はでな色をしていても、どこかさびしそうで、運悪く、蹴とばされることも多い。毒もないのに毒があると誤解されたり、食べられると分って貰っても、やっぱり捨てられてしまったりする。そのくせ食べると、香りと歯ざわりに、言うに言われぬ独特の味合をもっている。 挫折の世代は、きのことどこかで共感する。でも、「きのこ同好会」では、挫折しないように頑張りたいと思っていますので、どうぞよろしく。 |