■ 観察会のあり方について | ||
高橋博(川口市) |
a | 「乱獲」をめぐる問題提起とその背景 例年総会前には翌年度の事業計画を練るための役員会が開かれる。主な議題は毎月の例会内容を決めること。つまり、観察会、スライド勉強会、講習会などの日程を話し合って決めていくわけだ。96 年の役員会では、このうちの観察会のあり方について重点的な議論が行われた。「観察会=乱獲」ではないかという問題提起がなされたためである。 観察会では数十人がこぞって山へ入ることがある。そのひとりひとりには「乱獲」などという意識は毛頭なく、実際に採取する量も決して多くはない。「乱獲なんぞ、したくたってできない。そんなに採れない」のが現状である。にもかかわらず、その数十人分をまとめると大した量になってしまう、。しかも、その山が食菌の宝庫だったとしたら、影響はその 1日、あるいはその年だけにとどまらない。これは結果的に乱獲ではないかという問題提起であった。また、ここ数年の会員の増加に対し、「200名という会員数はすでに多すぎるのではないか」という声も上がり、支部を設けて支部単位で観察会を行ってはどうかという案や、その前段階として新しい指導者の育成が必要である等の案も出され、今後の課題として持ち越されるかたちとなった。 結論として「鑑定に必要な個体以外は採取しないこと」というルールが提案され、役員の大方の賛成を得た(私は不賛成だった)。そして、会員全員に配られた事業計画には、すべての観察会スケジュールにその旨がしつこいほどに明記されることとなったのである。また、例年なら総会当日に行われていた観察会も取り止めることになった。この時期はハルシメジやアミガサタケが見られるのだが、観察会といっても採集を全くしないわけにはいかない。ましてキノコシーズンの開幕を告げるおいしいハルシメジである。採らないほうが不自然というものだ。だからいっそ観察会をしないほうがよいという判断に達した次第である。 野生キノコに対するスタンスの問題 話はやや脇道にそれるが、「自然と人間とのかかわり方」という問題についての考え方は、人それぞれで違って当たり前のはずである。そこで私は役員会の席上「みなさんが野生キノコの保護を主張されるなら、啓蒙のためにもぜひ会誌『いっぽん』に考えているところを書いていただきたい」と発言した。残念ながら集まった原稿を見る限り、東平氏の「事務局だより」くらいしか野生キノコの保護を訴えた記述はなかった。しかし、こうした問題についてはもっとみんながいろんなことを言ったほうがいいと思うのである。陰で「あいつらのやっていることはただのキノコ狩りだ」と小馬鹿にするのではなく(奥深いキノコ狩りをけなされているようで不愉快だが、初心者をなめてそう言う人もいるわけです)、なぜキノコ狩りがいけないのかを言えばいいのである。私は、キノコヘの接し方にいろいろなスタンスがあって当然と思う。例えば、顕微鏡の世界でキノコの生態を研究している人もいれば、キノコは二の次でブナ林を歩くことが好きなんだという人もいる。あるいは、きのこ栽培に打ち込む人、写真さえ撮れれば満足という人、分類学こそキノコの醍醐味と信じる人、保存法に凝る人、マイタケ採りにこだわり続ける人、中にはマツタケ名人をめざしている人もいるらしい(自分のことだったりして……嘘です)。いろんな人がいるから面白いのだ。そういう違いがだんだん分かってきて、多少は共感できるようになれば、会員同士のコミュニケーションがもっと豊かで楽しいものになってくるのではないか。かく言う私自身、生来の社交下手から実際におつきあいいただいている会員はほんの数人にすぎないが、その数人の方々からずいぶんいろいろ勉強させてもらっている。ちなみに、シーズンの半年間に30回ほどもキノコ狩りに行く私の流儀は「採ったら食う。食わないなら採らない」というスタイルである。食えば「無益な殺生」ではないと思い込んでいる。ただそれだけのことで「自然保護」なんぞという近代の舶来思想とは無縁である(と思っている)。私のスタンスでみると、何でもかんでもたくさん採ってきて結局は捨ててしまうような人が一番けしからんということになる。どうせ捨てるなら林道の道端や家のごみ箱ではなく、採った場所に捨てるべきである。が、ガチガチの自然保護主義者からみれば、「年に30回もキノコ狩りをするような奴は谷底へ落ちて死んじまえ」ということになるかもしれない。ともあれ、いろんな考え方があっていいと思うのである。ただ、ひとつ言いたいのは、最初は誰でもキノコ狩りから始まるのではないかということだ。「乱獲」云々を言う役員の方々だって、これまでには人一倍たくさんのキノコを採ってきたと思うのであるが。 コンセンサスを得る努力の不足 ところで、私が「ちょっとイヤだな」と思ったのは、会員に配られた「平成8 年度埼玉きのこ研究会行事計画」のプリントである。この1枚の紙には、「鑑定に必要な個体以外は、採集しないで下さい。また、観察目的以外の動物や植物も、採集しないようにして下さい。なお、事故は個人責任です。充分注意して行動して下さい」という文句が(まさにまったく同じ文面が)なんと紙の裏表に下線付きで6カ所も書かれているのである。繰り返しもひとつの表現手法ではあるが、あまりいただけない。相手が子供ならともかく、大の大人に向かって説教臭い同じことを6回も明記するということは、「それだけ言わんと分からんだろ」という人をなめたような態度にも受け取れ兼ねないからだ。いろいろ書いたが、本音をいえば私はもっぱらこの1枚のプリントに一会員として少々腹が立っているだけなのかもしれない。もう何か月も経つが、見るたびに「これはまずい表現だ」と思う。思うけれども、これはやっぱり会員のほうにも問題があるらしい。例えば、「なぜこんなキノコを枝まで折って採ってくるのだ?」と言いたくなる人や、「そんなにたくさん採ってどうするの?」と言いたくなる場面もないではない。また、「事故は個人責任です」と書きたくなる気持ちも分からなくはない。例えば、ある会員が観察会でどこかの山にもぐり、鑑定会が終わる頃になっても戻らない、幹事の方が心配して遅くまで待っていたが、本人は何事もなかったような顔でのうのうと自分の家に帰っていた、という出来事もあったそうだ。実際、幹事・役員の方々にはいろいろ気苦労があるのだろうが、そういうことを会報に書けばいいのである。説明もなしに、いきなり行事計画のプリントで結論だけ伝えるという横着さにも腹が立つのである。とにかく、みなさん原稿を書かないので、私 (『いっぽん』の編集担当なのだ!)はとっても怒っているのである。 宿泊勉強会のキャンセル間題 さて、本題に戻りつつ話は少し変わる。前述のルールが十分に守られたかどうかはさておき、役員会より数か月後、また違った点で、観察会に関しての問題提起があった。これは次年度の役員会のための検討材料として上野和枝さんから編集担当役員の方へ寄せられた指摘なのだが、宿泊勉強会でのキャンセルが目に余るほど多いという問題であった。例えば96年 9月14・15の両目に行われた福島県南郷村での観察会では64名の予約申し込みがあったが、ふたを開けてみるとキャンセル者が25名、さらに無断欠席が1名いて、実際の参加者は38名という結果であった。この観察会の幹事は上野広秋・和枝夫妻であったが、キャンセルの続出でてんてこ舞いてあったという。 何であれ幹事なんていうものは面倒な役回りだ。とくに夏と秋の宿泊勉強会では参加者の安全が第一に気になり、夕食の席に一人でも欠けていたらうまい酒も喉を通らない(これは私の推測)。また、おいしいキノコを採りたいという初心者会員のニーズに対しては採取場所のアドバイスも必要だろう。何も揺れない人が多いと、やはり責任を感じてしまう(これも私の推測)。参加者の顔ぶれを把握して、部屋割りを決めることだって面倒な仕事と思う。そういうことを無償でやらなければならないのが観察会の幹事なのである。直前のキャンセルでは、宿へのキャンセル料が必要な場合もある。キャンセル料を当人から徴収するのもまた面倒である。小額なら幹事が自腹で負担することもあるかもしれない。だから、せめて約束はなるべく守ってもらわないとやってられないはずである。 25人ものキャンセルが出た背景としては、キノコの不作が予想されたことが第一に上げられると思う。95年の南郷村も雨不足がたたっての超不作となり、まるで悪い夢でも見ているような状況であった。今年も9月になって雨がいっこうに降らず、テレビでは渇水のニュースが連日告げられ、前年と同様の状況を予想せざるをえなくなった。「こんな状態では行くのよそうかな」と思い直した人も少なくないのではないか。「○○県のほうが出ているらしいので、そっちに行こう」なんて思った人もいるかもしれない。もちろん中には止むを得ない事情で行けなくなった人もいるだろう。しかし、止むを得ない事情の人が25人もいたとは考えにくい。じつは私も夏の四万温泉をキャンセルしているので大きな口は叩けないのだが、安易なキャンセルは慎むべきだと思う。 観察地のマンネリ化の問題 それから、これも会員の意識に関する問題だが、最近の観察会では、入会して 2〜3年程度の初心者クラスの人が多く, 中堅、ベテランといった方々の不参加が目立つような印象を受ける。南郷村の場合もそうであったが、翌月の高崎「群馬の森」でもベテラン会員の参加が極めて少なかったという話を参加者から聞いた。南郷村の場合は過去に4回の宿泊勉強会が行われており、ベテラン会員にやや飽きられていたという側面もあるのかもしれないが、高崎の場合は飽きる以前に、そもそも観察地に魅力が薄いからだと思う。「こんないい時期に、せっかくの休みだっていうのに、高崎なんか行けるか」という意識があるせいでは? じつは私自身(ベテランじゃないけど)そう思って行かなかった。とくに日帰り観察会では魅力の薄い場所がほとんどである。これは前述の役員会で日程を決める時から「なぜそんなつまらない場所を?」と思っていた。担当幹事の方々のご意見を聞くと「帰りが渋滞するから近場がいい」あるいは「わざわざ遠くまで出向かなくても近場にも興味深いキノコはたくさんある」といったお考えのようだ。ごもっともであるが、50キロや100キロ距離が伸びたって、出掛ける負担に大差はないと思うのである(そのぶん早く出ればいいのだから)。また、ベテランになるほど近場には何度も行って飽きている。あるいは行かなくても「見えている」という感じもある。だから、当の幹事さんは別にして、他のベテラン・中堅の方々は違う所ヘキノコ観察に行ってしまうようである。例外は「どうせどこへ行っても何もない」という時期だけ「ま、たまには顔を出すか」というのが本音ではないだろうか。 新会員と古参会員が交流するのもお互いに得るものがあるはず。そのためには宿泊勉強会の候補地も含め、もっと魅力あるフレッシュな場所を提案するこ.とも必要と思う。「去年と同じところでいいや」でな感じの惰性で決めるのではなく、よりアピールする観察地をもう少しは考えるべきではないだろうか。私自身の希望では、キノコなんか少なくてもいいから、景色がよく気持ちいいロケーションでの観察会なら、もっと積極的に参加したいと思う。少しは旅行気分も味わいたいから、あまりにも身近な浦和、飯能、長瀞なんていうのは「ちょっとなあ」なのである。もちろん秋ケ瀬公園や美の山公園にもメリットはあるだろう。まず危険が少ない。秋ケ瀬で迷う人はまずいないと思うが、独立峰で道も整備された美の山の場合も迷う心配は少ない。そういう安全なところでなくては不安という会員もいるかもしれない。熟年の女性も多い会であるから、安全性に配慮するのは当然であり、その意味では近場の公園などは好適地であるとは思う。が、私にはつまらないのである。だったら自分が企画して幹事を務めると言われても、キャリアが浅く役不足だし、性格が自分勝手だから責任ある立場には向いていない(そもそも言うだけ言って人任せにするところが無責任である)。 私は自分の行きたい山へは1人でも行くので、観察会はどこでもいいような気もするのだが、不満に思う人が他にもいると思うので、いちおう検討材料として書いてみた次第である。 それと、これは南郷村の時に気になった点だが、新会員の方々にひと言申し上げておきたいのは、いっしょに山に入った時に「おーい」とか「ヤッホー」とか合図があったら必ず返事をしていただきたい。そういう基本的なことも知ら'ない人とはいっしょに山へ入れないからである。 さて、以上は、編集担当役員という立場上知り得た事柄が含まれているとはいえ、あくまで一会員としての個人的な意見である。最後に、キャンセル問題を提起された上野和枝さんが8〜10月に行われた観察会の場所について過去のデータをまとめてくれた。役員及び会員諸氏の参考にしていただければ幸いである。 ●夏から秋の勉強会一覧表 ※33回中、宿泊勉強会は17回。同一場所で2回以上行われた勉強会は南郷村(4回)、檜原湖(2回)、富土山(2回)の3カ所。日帰りは16回で、奥多摩、長瀞方面が比較的多い結果となった。
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