ホシアンズタケが日光にあった
浅井郁夫(川口市)


a  ホシアンズタケといえば、図鑑で何度も見ていたしよく知っているつもりだった。「本菌は一属一種であり、日本では、北海道にのみ産する」。多くの図鑑類で、「北海道特産、比較的希なキノコ」というのが、解説に記述されているお決まりの台詞である。しっかり頭に焼き付いているからこのキノコに出会う機会があれば、すぐに同定できるだろうと思っていた。姿や色からも間違える様な類似種はないし、明瞭な特徴を備えた、とても分かりやすいキノコのはずだった。
 94年8月、95年8月と2年続いて、車にテントを積んで1週間ほど、北海道で夏を過ごした。この時は2年ともホシアンズタケには出会えなかった。元々がキノコのための旅行ではなかったが、多少「北海道特産」菌への手がかりと感触を得ることができた。この北海道旅行でも何度かピンク色のキノコに遭遇した。そのたびに、わくわくしながら近づいてみると、決まってトキイロヒラタケ(Pleurotus salmoneostramineus)だった。ピンクのキノコというとトキイロヒラタケ、といったステレオタイプの反応が出来上がってしまったのはこの頃からだったようだ。
 8月、9月と例年通り上州武尊、日光などの「定点観測」は続けていた。ピンクの腐生菌にはこれまでにも何度も出会っていた。しかし、「どうせ、トキイロヒラタケさ」と思うと近寄る気持ちはすっかり失せてしまうのが常だった。トキイロヒラタケはかつて何度か食べている。幼菌のうちはまだしも、成菌はまるで食用にはならない。それに、あまり好みの味ではない。そんなこともあって、見つけても採取することはせず、もう何年も、ピンクのキノコというと見向きもしないようになってしまっていた。
 今年(1997年)も、7月初旬にキノコを求めて日光に入った。コースは、地形図、地質図、植生分布情報などを見て決めた。ハルニレやらヤチダモなどの多く分布する地域である。タモギタケの観察が第一目的だった。立ち枯れや倒木が見えれば、多少遠くても近寄ってみた。まだ幼菌のタモギタケ(Pleurotus cornucopiae)があちこちにあった。群生していると遠くからでもはっきりと見分けることのできるキノコである。全般的に今年のタモギタケは、成長が例年よりも遅いようだ。ふと脇を見ると、倒木にピンクのキノコもついている。少し遠くを見ると同じような立ち枯れの木にもピンクのキノコがついている。双眼鏡で覗いてみるまでもなかった。「どうせまたトキイロヒラタケさ」。そう思うと、わざわざ近寄って観察してみようという気持ちなどさらさら起こらない。遠くの黄色い塊にはすぐに反応するが、それ以外は殆ど目に入ってこない。何か黄色いものが見えるとすぐに双眼鏡をとりだす。しかし、他の色では双眼鏡の出番はない。
 樹林の中を歩いて小さな湖にたどり着き、倒木に腰掛けてふと足下を見た。そこにもタモギタケがあり、すぐ横に先程から何度も見かけているピンクのキノコがある。あまりにもきれいなので「トキイロヒラタケにしては妙な姿だが、まあこんなものもあるのだろう」程度に思って、一株だけ採取した。採取した時に、指先にワイン色の滴が付着したのが少し気になってはいたが、これがトキイロヒラタケであることは微塵も疑うことはなかった。
 午後3:00には帰宅して、その日の観察記録などをつけながらビールを飲んでいた。酔いも手伝ってか、「おまけ」として採取してきたピンクのキノコは紙にくるんだままで、開いて見ることすらしなかった。採取の折りに指先についたワイン色の滴のことなど、すっかり忘れていた。
 夕食も済ませて、かなり酔いが回った頃になって初めて、トキイロヒラタケと思っていたキノコが、実は全く別のキノコであるらしいことに気づいた。トキイロヒラタケの胞子観察は今日はどうせできないからと、ピンクのキノコはテーブル端の紙の上においたままにしていた。改めてよく見ると、小ぶりで丸山型のきれいなキノコだった。根元の方から4本か5本が分岐している。傘の表面にはなにやら淡い網目模様のようなものがある。キシメジ科のキノコらしいが、何だかはっきりしない。酔いも手伝って、もはや探求心も薄れてきた。面倒な顕微鏡観察はやめて明日の集まりに持って行くことにして、再び紙に包んで何も考えずに冷蔵庫に保管してその日は眠ってしまった。
 翌日は、千葉の泉公園で菌類談話会の集まりがあった。深く考えることもなく、前日に採取した立派なオニタケ(Lepiota acutesquamosa)と一緒に、ピンクのキノコを持っていった。ただ、なんとなくちょっと面白いキノコを見つけたから持っていった、その程度の気持ちだった。大きなオニタケはあまりにも立派だったので博物館行きとなった。ピンクのキノコはたいしたものと思ってもいなかったので、話題にも出さなかった。
 当会の横山元さんも来ていた。いつものように情報交換をしながら、なにげなく「ピンクのキノコ」を持ち出したところ、「ホシアンズタケに間違いない、どこで(採取したのか)?」という。「まさか、だって北海道なんか行っていない!」と答えながらも、頭の中の「キノコカード」(頼りにならないデータベース?)を慌ただしくパラパラと繰って、ホシアンズタケ(Rhodotus palmatus)にたどりついた。「北海道にのみ産する。ややマレ」という文句を筆頭に、この菌の特徴が脳裏に浮かんできた。確かにホシアンズタケに間違いない。
 ホシアンズタケが北海道以外にあるはずはないと思っていたし、まさか日光に生えているなんて考えてもいなかった。しかし、紛れもなくホシアンズタケである。お決まりの様に、横山さんのフィルムに収まり、夜にはこのピンクのキノコを食べてみた。横山さん達は数日後に、ホシアンズタケを目指して日光に入り、写真に納めることができたという。そこで出会えた菌株は小さなホシアンズタケだったが、写真に撮ることができたと喜んでいた。
 これまで、日光でいつも見てきたトキイロヒラタケと思っていた腐生菌は、ほとんどがホシアンズタケだったようだ。もう何年も前から日光ではホシアンズタケは日常的に発生していたことになる。キノコに関心のあるものがこの時期に入山していなかった。あるいは、たまたま、誰もそのキノコの存在に気づかなかっただけであったか。はたまた、「北海道特産」の記述が人々の目をくらませていたのか。自分でもまさか、ホシアンズタケが関東地方で見られるとは思ってもいなかったので、考えたこともなかった。これを契機に、近いうちに今一度、確認のために日光に行ってみたいと考えるようになっていた。
 8月2日に再び日光に行ってみた。翌3日の熊谷市立図書館での催しのためのキノコ採取が第一目的だった。ホシアンズタケは駄目でも何か面白いキノコが採れるという確信があった。タモギタケなども時期的にすでに遅いかもしれないが、まだ多少は出ているはずだという思いもあった。幸い期待していたホシアンズタケにもタモギタケにも出会えた。しかし、一ヵ月前に比較すると発生件数は圧倒的に少なくなっていた。
 この日の日光では、ホシアンズタケには20ヵ所ほどで出会った。そのうち3分の1くらいは、すでに時期を失してバクサレ気味だった。それでも、幼菌から成菌まで10数株を採取して持ち帰ることができた。これまでに日光では、トキイロヒラタケには何回も出会っている。トキイロヒラタケはないかと目を凝らして探したが1株も見つからなかった。この日見つけた「ピンクのキノコ」はすべてホシアンズタケだった。発生時期にずれがあるのか、材を選ぶのかわからないが、この地域では、ホシアンズタケよりも、トキイロヒラタケのほうが珍しいキノコなのかもしれない。
 注意して観ると、ハルニレやらヤチダモの倒木なり立ち枯れによく発生している。採取した株に共通して見られたのが、枝分かれした基部を中心として、柄の所々にワイン色の液滴がついていることだった。これは、この日採取したすべての株に見られた顕著な特徴だった。幾つかのキノコからあえてこの液滴を拭き取って放置してみた。しばらくすると、いつの間にやら再び滴がしみ出していた。バクサレた菌にも、この液滴の付いたままのものが多かった。そして、まんじゅう型の幼菌の表面中央にはシワシワの網目模様が顕著である。いかにも「乾し杏」の名前の由来を思わせる姿をしている。この網目模様は成菌になると失せてしまうか、目立たないほどに薄くなってしまうようだ。
 これまで日光で例年見ていたピンクのキノコは、そのほとんどがホシアンズタケだったのではないか思われる。この地域での発生時期は、トキイロヒラタケやらタモギタケとほとんど同じ頃、6月後半から7月初めの頃である。
 我が家では、ほぼ同定できたもので「毒」と明記されてなければ、採取してきたキノコは原則として食べてみる。時には、「毒」を承知で、あるいは、同定もできないままに試食してきた。これらの中には、ずっと後になって種名が判明したものもある。はじめてのキノコは、さっと熱湯に通したり、そのまま焼いて食べてみることが多い。この時点で「何等かの異常」を感じると直ちに、胃の内容物は吐き出してしまう。おかげでこれまで全く大過なく過ごしてきた。
 ところで、このピンクのキノコは、図鑑類には「食。やや苦い」とある。薄い味付けをして寄せ鍋風にして食べてみた。熱を通すとピンクいろはすっかり抜けてしまう。傘の部分はプリプリとした感触であり、すこし柔らかめのナタデココといったところか。そして、表面はヌルっとしている。一方、短い柄はシャキシャキしており、適度に歯ごたえがある。やや癖のあるエノキタケ(野生種の)柄のようだ。調理法によっては、「食べられる」キノコの部類ではないかと思われた。今回のそれは、苦みはあまり感じなかったが、成菌に比較すると幼菌の方が「苦み」が若干強いかもしれない。強く食欲をそそるキノコとは思えないが、少なくとも「まずいキノコ」ではない。来年はまた別の調理方法で食べてみようと思っている。10株(数十本)程度では本当の味はわからない。ひょっとすると「おいしいキノコ」かもしれないのだ。
 これまでも、「真夏のキノコ」とされているものに晩秋の新雪の森で出会ったり、「晩秋のキノコ」に春先の新緑の頃に出会ったことはしばしばある。どんな生き物にもバリエーションの幅はある。人間世界ばかりでなく、キノコの世界にも「変なヤツ」はいるものである。これまでも、11月のタモギタケ、4月のナメコ、6月のクリタケ、等々などがそうだった。「針葉樹林」に群生するコウタケ(シシタケにあらず)、広葉樹林に生えたクロカワ(周辺に針葉樹は全くない)にも出会った。これらに出会うたびに、「活字の中」で定着している通説を「盲信」することの愚かさを感じてきた。発生情況と個々の種の固体変化の幅に関しては非常に大きいのが菌類の常である。
 今回のホシアンズタケであるが、採取のきっかけは「変なトキイロヒラタケだな」と感じたことである。何度も出会うので「トキイロヒラタケでも、覗いてみるか。胞子観察などをするのもよかろう」程度に思ったからだった。翌日の菌類談話会に持っていったのは気紛れからであった。横山さんから「まさか」の指摘を受けることがなかったら、「ピンクのキノコ」は、そのまま葬られ、「北海道特産」菌はやはり「北海道特産」のままだったろう思う。「日光ではホシアンズタケは普通にみられる種」というのは紛れもない事実である。今回のホシアンズタケの一件を通じて、「囚われない心で観察する」ことの大切さを改めて感じさせられた。



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