■ 富士臼茸との出会い | ||
山口治男(川越市) |
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埼玉きのこ研究会の、平成9年8月の例会は、8月23日〜24日・富士山宿泊勉強会と計画された。私は、今年3月に定年退職し、時間的に余裕ができたので、宿泊勉強会に初参加させていただきました。 23日午前9時10分頃、東武東上線高坂駅に、マイクロバスが到着し、私を含め4人が合流しました。上原さんの運転で、塩津会長・籾山世話人と共に、一路富士へと向かった。圏央道から八王子へと車は進み、八王子で池田カメラマンが同乗し、総員19名となり、バスの旅が続けられた。車中では、会長・世話人の挨拶等があり、早くも初めて見る、富士山に秘められた菌類との出会いに心が浮き立った。当会のメンバーは大変研究熱心で、車中は茸の体験談・失敗談で盛り上がり、話は途切れることはなかった。フジウスタケの話しに入り、毒とされているこの茸を食べたと言う人が現われた。Aさんは、家族4人で食べたところ、本人は大丈夫であったが、家族は全員食中毒を起こした。人によっては、やはり当たるとの体験談がのべられた。Bさんは酢の物にして食べたが、家族全員大丈夫であったと話された。二人の共通点は、タワシで表と裏をよく洗い、茹でて、レモンまたは酢の物で食べたという点である。 毒茸のフジウスタケの料理法につき、興味が湧いてきたので、詳しく聞いたところ、
これがポイントのようである。フジウスタケの特徴は「するめ」みたいでとても美味しいことを知った。
霊峰の苔の光にきのこかな新河岸駅に3時半頃着き、馴染みの飲み屋に寄りこんだ。富士山で採った富士臼茸を披露したところ、マスターもおかみも目を丸くした。なんともよい気分であった。 家に帰ったところ女房は留守であった。早速台所に立った。フジウスタケは全部で5本あった。この茸は長いので、まず三等分に切り、それを縦に二つ切りして、小スプーンで表と裏の柔らかい部分をこそげ落とした。それを水に漬けて、歯ブラシで丁寧に毒を擦り流した。約1時間後には、約6割の分量になった。誰かさんが言っていた通り、烏賊の白い切り身のように、また、少し茶色のものは、鯣(スルメ)のように、しっかりした切り身に変身した。教えていただいた通り2回茹でこぼした。1回目は真っ白い泡が立ち、湯はお茶のような色になった。2回目も真っ白い泡が立ち、湯はほんの少し色がついた。これで全ての毒はすっかり消えた……かも。残る毒の除去は冷やし戦術だ。効果を高めるために、水に氷を浮かばせ冷蔵庫に入れた。 そこへ妻が帰って来て夕餉の支度をした。「お父さん冷蔵庫の茸はどうするの」と声をかけられた。私は即座に「酢の物にするからそのままにしておいて」と言って、すぐに台所にゆき、見覚えた通りに短冊に切り、ワカメも適当に刻んだ。ここまでは誠に順調であったが、これから先は、誠に残念ながら学習不足で手が止まってしまった。仕方がないので「おーい! これから先を一寸やってくれ」と妻に頼んだ。「あーら全部自分であるんじゃなかったんですか」とチクリとやられた。続いて「こんな少しでいいんですか」と言う。「これは貴重品だから少しずつ食べるんだ」とゴマ化した。内心は冷やす時間が短いので毒が残っているかも知れぬとの不安があった。ビールで今日の成果を妻と乾杯した。 美味しいフジウスタケ料理を妻に味わってもらった。妻は「ボイルした烏賊みたい」と大層喜んでくれた。妻はいつものように赤い顔をして横になった。大丈夫だろうかと観察を怠らなかった。そんなことはいつしか忘れテレビに夢中になった。その時である。妻は「ウーン……」と唸り出した。これは一大事ついにやられたかと、私は青くなった。思わず「おい大丈夫か」と大声をあげた。妻はキョトンとして「なーに大きな声出して今日は日曜出勤で疲れたのよ」とまた目を閉じた。冗談じゃないよあ。脅かすなよ。心臓が止まりそうになったじゃないか、ああ疲れた。 別に下心があるわけではないが、妻には毒茸であることを言い忘れていた。また人体実験をした訳でもない。これでフジウスタケが美味しく食べられることが証明された。それでもまだ安心できない。その後毎日お昼に量を増やしつつ一人で、人体実験を繰り返している。酢の物の作り方もすっかりマスターした。フジウスタケは調理により安全であることを確信しつつある。すぐに食べられるように、三杯酢で仕上げたフジウスタケはもう残りが少なくなってきた。 |