■ ロシュナンテの繰り言 | ||
井上成一(朝霞市) |
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私の名はロシュナンテ号という。正体は30年間こき使われ、ガタの行きかけたボロ自転車である。人間に換算すると、90歳位に相当すると、自転車屋の親爺がいう。 由来は、ドン・キホーテ愛用の田舎驢馬そっくりだとて、家人のつけた諢名である。 確かに、20インチ輪径のチビで、旧式で、変速ギアも無いノロマで、小学生の車にも追い越される。自転車だからとて腰痛がある。走らされると、ギシギシ古疵がきしむ音がする。 この老体をいたわるどころか、主人は自分の夢ばかり追い続けて私を酷使する。まあ聞いてやって下さい。 中世の騎士物語に憧れて、夢と現実を混同するドン・キホーテに倣って、主人は、私に跨がっては、あてもなく雑木林を求めては乗入れ、森の妖精、幻のキノコに逢うべく、常にさまよっているのである。 ガタンと音を立てては、落葉溜りの深い窪に落込み、ロシュナンテを引起こしては、また進む。倒木を乗越えそこね、ひっかけてまた転ぶ。幻の妖精に巡り合うことなく、とぼとぼと侘しく家路を辿るのである。 一日の行程30粁、浦和、練馬区までも迷いこむ。これでは私も生傷が絶えない。 主人は方向音痴である。林の中に入りこみ、私を乗捨てた場所も忘れて妖精の面影を求めては迷子となり、挙句、通行人を見かけては、「私の自転車を何処かで見かけませんでしたか」と尋ねている。当方恥ずかしいったらありやしない。主人は身の程知らずである。河原から堤に戻るのには廻り道せず、直接土手に登ろうとする。私、ロシュナンテを小脇に抱え込み45度の急斜面を登る。大方、風車に槍をかざして突込んだドン・キホーテの亜流を気取ってか、あと一歩で踏滑らし、ロシュナンテもろともズツテンドウと転がり落ちる。年寄りの冷水という言葉を知らんのか、おかげで私は片ブレーキ捻挫で自転車屋に入院という始末。主人は交通法規を悪用する。主人は、白線だけで歩道・車道境のはっきりしない道路をいやがる。背後から自動車にスレスレに追越されるのを嫌う。怖いのだ。そこで考案したのが手押しボタン式信号の利用だ。交差点を渡る前に、ボタンを押しておいてサッサと渡る。後続自動車は赤信号で遮断されるという訳。滅多にするわけではないから私は主人の肩を持つ。主人は居眠り運転をするらしい。私が仰向いて確認したわけではないが、ペダルを漕ぐのが全く止まり、惰性だけで進んでいることがある。ヤバイ。主人の瞼が下がって視界が狭くなっているらしい。段差の箇所で、がたがた大揺れして眼が覚めたようだ。 「ああ、片眼がどうしても塞がる。要注意だ。」と呟いているのが聞こえる。主人は脇見運転をする。若い女に見惚れて、オートバイ進入阻止棒にぶっつかり転倒、股間の急所をひどく打ちつけたらしく、股倉を抑えて坐りこんでいる図を想像されたい。最後に、主人は幻の妖精キノコに巡り逢えたか、どうか。これは問題であり、判然としない。下級供奉者の雑茸には遭遇しているが、まだ妖精・貴婦人らには逢えぬらしい。 |